発達障害と私 (6/10) それでもADHDの薬物療法は必要か?

前回、ADHDのかなりのお悩みが行動療法で解決すると書きましたが、今回は「行動療法で解決するなら何故薬を飲んでるの?」について書きたいと思います。端的にいうとADHDのお悩みには仕組み化すれば解決する行動系の悩みだけでなく、情緒や衝動、認知の特殊さからくる自分でもどうしたら良いか、どこに向かえば良いのか正解のない問題があり、薬以外で解決するのは難易度が異常に高いからなのです。

自分でもADHDの困るところは不注意などの行動面だな、と長年思っていましたが、実はソフト面にもものすごい影響を与えていて、人によってはそっちの方が困り事が多い場合もあるかもしれません。
例えば
・ずっと脳内がザワザワしていて落ち着かない
・人の話を集中して聞くのが難しい
・話が飛びやすい
・多動症で、ずっと動き続けている
・衝動性があり、感情のコントロールが難しい
・ゲームなどに熱中しやすく、アルコールなど物質依存にもなりやすい
・自己肯定感が低い

といったことが挙げられます。これは、感情とか動機とか認知のような高次の脳の機能で、はっきりした正解もなければ、ADHDだろうがそうじゃない人だろうが全員が違うものなので、自分が「外れ値」であることにも気が付きにくく、しかもその個性は良い面も悪い面もあるので一概に否定できず、周りが指摘しないとそもそも問題にも気づきにくいという点が行動療法でなんとか出来る課題と大きく違います。

こういうソフト系の問題に対しても、薬じゃなくて認知行動療法っていうのが存在して、私の解釈では外界からの刺激に対して自分がどのように認知し、それに対してどのような感情を持ち反応するかを分析して問題が起きているところを変えていくというようなコンセプトだと思っています。

東京認知行動療法センターを引用
https://tokyo-cbt-center.com/programs/what-is-cbt

他にもマインドフルネスやセルフコンパッションなど脳のザワザワがひどい、自己肯定感が低い、といった悩みを解消するプログラムも存在して、私も真剣に取り組んで生活に取り入れてきました。

しかし!これらは本当に難易度が高く、プロにサポートしてもらいながら長時間継続して、ようやく少しずつ変化するようなもので成功率は低く、そもそもどの自分の認知や行動が問題なのかを特定するのが難しいため、取り組むことさえ困難なのです。

私自身がメンタルクリニックに行ったきっかけは「このままだと飲酒の衝動が止められなくてアルコール依存症がやばい、しかも職場のストレスに対して怒りが抑えられない。大事な会議でも落ち着いて話せない」といったソフト系での課題でしたが、よもやそんな自分の課題がADHDに由来していて、薬物療法だけでかなり改善するとは到底思っていませんでした。

今、薬を飲み始めて4.5ヶ月くらい経っていますが、脳内の変化には本当に驚きます。ADHDじゃない人が本当にこんな脳の状態で暮らしているなら、ADHDの人はスタートラインで持っているハンデがあまりにでかいんじゃないか?というか、なんか私はドーピングしてズルしてるんじゃないか?と思わされるほど、これまで悩みに悩んだ性質が、完全にではないけれど生きるのが楽になる程度抑えられています。

まず、私の脳内は、
ずっとBruno MarsのUptown Funkが流れているようなザワザワ状態か、
電車に乗っていて「阿佐ヶ谷〜阿佐ヶ谷〜🎵」と降りるべき駅の到着音が流れても全く聞こえない程の過集中の状態

のいずれかしかなかったのですが、薬を飲んで、そのどちらでもない

「すーん」と落ち着いている状態

が発生し、衝撃のあまり「うそ?みんなこんな世界で暮らしているの?」と思いました。
こんなの自分が変わっていると気づきもしないし、認知行動療法とかで変化させようとも思わない特性ですが、なってみると生きやすさが全然違う!謎の焦燥感に駆られるよう動かされることもなく、落ち着いて過去を振り返ったり内省したりも出来るのです。

今は仕事のストレスレベルがかなり高いのですが、誰かに腹を立てても気持ちに囚われすぎずに着々と仕事ができますし、めちゃくちゃ工夫をしなくても、長時間じっとして仕事を続けることができます。

相手の話の先がさっさと読めてしまっても、最後まで黙って聞いた後に落ち着いて話すことも、かなり注意を払えばできます。

さらに、すでに書いていますがあれほど困っていた飲酒問題もあっさり解決。最近は「今日は飲んじゃおうかなー」という日があってお酒を飲んでも大体1杯でやめて、翌日からスッパリやめて週に1回飲むか飲まないかを継続できています。

認知行動療法の最初のステップは、「自分の認知や動機、情動のあり方が自分を苦しめている」ということに気づくことだと思うのですが、薬物療法は、ある日突然、これまでの自分の認知や動機、情動と違う人間に生まれ変わって、「これまで私が苦しんでいたのは、私自身の性質が理由だったんだ」と気づくような衝撃を与えてくれたのでした。薬を飲んでみてあらためて思うのは、「これを認知行動療法などでコントロールしようとするのは、ペンギンに空を飛べというほどではなくてもかなり難易度高いな。人生かけて取り組めばなんとかなるかもしれないけど、ずっと意識的に「こうしちゃダメ、こう考えたらダメ」と自分をコントロールし続けないといけなくて身がもたないな」と思い、薬が開発されたことに感謝しないではいられません。

で、今こうやって薬の効果の恩恵を受けている頭で「これまでの脳と今の脳、どっちで暮らしたい?」と考えると、現状の生活を続けている限りは、これまでの脳だとアルコール依存症か鬱病か仕事上のトラブル・破綻の3択で選ぶしかないと思うので、圧倒的に薬物療法を続けた方が良いな、と思います。

一方で、いつも落ち着かずに焦り狂っている私の脳が、いつでも私を突き動かして、楽ではないけど刺激的な毎日を送れていたのだと思うと、「もし会社みたいな集団組織に属する必要がなくて、お金も稼ぐ必要もなくて、現代社会にちゃんと属して生きていく必要がなかったら、あのままでも良いかも?」と思う私もいます。結局今回困り事として書いたことは、すべて外部との関係性の中で生まれてくるもので、どこに身を置くかによって相対的に困りごとも変わっていくのだと思いますので、外部との関係性を変えていくというのも一つの手だと思います。

次回はそんな関係性を生み出す外部の環境因子について書いてみたいと思います。

(全然関係ないけど、甲府幕岩の帰りに孫悟空に行ったら、味噌汁がきのこ汁になっており、少食になった私でも完食できて最高でした!この物価高で980円は申し訳ない。相変わらず美味しかったー)

コメント