祝福できる人

2月の第一週に土日でシーサイドに行き、7日の日曜日にスプラッシュをRPすることができた。土曜日の最後のトライで最終パートまで行けたのだが、キーホールドが滑って持てなかった。最終パートの突入前に右手をチョークアップしなかったことが悔やまれたが、それ以外はもうクリアすべき課題が無いと思える状態で翌日を迎えた。

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翌日は前の日のトライの疲労が残っていて、温めないと動かない爬虫類の如く、しばらく岩の上でじっと日光を浴びていた。アップをやりに行くのもゆっくりで、身体をほぐす作業にもだいぶ時間を掛けた。そして、RPしたのはこの日の最初のトライだった。最初と言ってもお昼はとっくに過ぎていて、たぶん13時ぐらいになっていたと思うのだが、登り始める前から落ちる理由がないなとは思っていた。RPに至るまでの恐らく100回を超えるであろうトライと、最終的に終了点まで落ちずに登り切った最後のトライで決定的に違ったことは、そのような意識というかゆとりだったと思う。

無理やり自分に信じ込ませるかのように「次は登れる」と言い聞かせようとする時とは違い、ホントもう落ちる理由が見当たらないと思った。ムーブの至るところに安全マージンがあり、ホールドを取る位置を多少外してもそこから修正できるようになっていたので、ピンポイントで正確にホールドを取りに行く必要もなかった。しかし実際には、気持ちに余裕があるから全てのホールド取りが完璧にできてしまったし、最後の核心を抜けた時も当然のことが当然のようにできてしまった感じでがした。

今まで超えれなかったパートを超えた時は、「あれ、もしかして登れちゃった?」みたいな、今起こってる状況がよくわからん…、という不思議な感じに包まれていた。ルートの下で観ていた多くの人の声援は聞こえていたのだが、自分だけゾーンに入っていたのか、別世界にいるような感じだった。最終的には、終了点で感情を爆発させる訳でもなく、至って冷静にヌンチャクを全部回収して降りてきた。その後、多くの人が祝福してくれた。自分のことのように喜んでくれる人が何人もいて驚いた。

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しばらくしてからも、シーサイドを歩いていると、次々と声を掛けてくれる人が現れた。頑張り抜いて自分を成長させ、もともと遠くにあった域にまで自分を到達させる姿を見せることは、人の心を豊かにすることでもあるようだ。
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また、私よりもはるかに経験がある人や、ずっと強い人達が心から喜んでくれていたのが印象的だった。私が多少なりとも背負っていたものや、乗り越えてきたものなど感覚としてわかっているようだったし、その上で相手のことを心から祝福できるって凄いことだ。強い人は色々なことを乗り越えてきていて心が広いから、そういう接し方ができるんですね。私なんて、他の人が凄いルートを登った時に、対抗心が出てきてしまうことが多いけど、ホントに強い人はそうじゃないのだとわかった。目指すべきはそういうクライマー。これも少しづつ近づいていくしかないですね。

コメント

  1. てつ より:

    おめでとうございます!
    周りの仲間が完登していくなか、気持ちを切らさず登るのは精神的にご苦労されたと思います。
    本当におめでとうございました!
    僕も頑張らなきゃ。

  2. コブ より:

    >>1ありがとうございます。「気持ちを切らさない」というのがかなり大事でしたし、私の場合はそれを2年続けたので大変でした。二浪して東大行くみたいな感じですかね。この1年は週末を一緒に過ごしたメンバーでスプラッシュを登ってる人が3人いて、その後も高いモチベーションを維持していたので、周囲に引きずられて自分もモチベーションを維持できたのかもしれません。仲間にも感謝ですね。